2019年02月08日
前年度在籍していたサガン戦士が翌年度不在となってしまう割合
生きていれば、出会いもあれば、別れもあります。
小学校の頃にあんなに仲良く遊んだ友達とは、いまは音信不通どころか、連絡を取ろうとすらしていないかもしれません。
価値観の変化や新たな環境に身を置くことによって、人間関係が変遷していくのはよくある事です。
自然に忘れるような関係であっても、受け入れられないような形であっても、別れと言うのはいつかは訪れる事なのです。
サッカーチームのサポーターとしての活動も、例外なく、出会いもあれば別れも訪れます。
特に、好きな選手との別れ、応援していた選手との別れは非常につらいものです。
何がつらいのかというと、多くの選手との別れは突然にやってきます。それがつらさを助長させます。
契約期間が決まっているプロフェッショナルスポーツですので、サガン鳥栖と契約を継続しないことになれば、そのタイミングがまさに別れのタイミングとなります。
そして、その別れのタイミングは、サポーターの意思や意図と関係なく、時として、その経緯を知る由もなくいきなり訪れます。
別れ方も、選手が更なる向上を目指しての別れ、選手の衰えによる戦力外となる別れ、チームの事情(経営面等)による別れ、納得いくもの、いかないもの、様々な形が存在します。
スタジアムでの挨拶での別れとなった鎌田やミヌに関しては本当に稀なケースと言えるでしょう。(本来はすべての選手とあのような形で別れたいものですが)
別れと言えば、古くからのサガン鳥栖サポーターにとって忘れられないのは、やはり2009年のシーズン終了後でしょう。
岸野さんによる、高地、柳沢、武岡、渡邉の引き抜き、主力だった島田、山田卓、広瀬の流出、そしてミスターサガン義希の移籍。
年々、上位に顔を出すようになって、昇格が少しずつ夢ではなくなってきた時期、そして鳥栖スタジアムでのラストゲームでの高地のあの感動的なゴール。
それらの全てが無に帰るかのような主力の大量流出に、心が折れそうになったサガン鳥栖サポーターは、たくさんいたかもしれません。
ただし、多くの選手との別れがあるからこそ、多くの選手との出会いも生まれます。
2009年大量流出で悲観にくれている状況の中、J1への昇格の立役者となり、その後もサガン鳥栖をJ1のチームとして支えてくれた主役たちは、ほとんどの選手が2010年に入団してくれました。呂成海、藤田、早坂、野田、木谷、丹羽、そして、キムミヌ、豊田。もちろん、この流出のさなかにサガン鳥栖に残ってくれた室、赤星、磯崎、池田も長い年月サガン鳥栖を支えてくれた大功労者です。
そして、今年も、別れの時がやってきました。今年は特につらい別れが多い年でした。
チーム最古参としてJ2時代から支えてくれた赤星、チームのムードメイカー池田、J1快進撃の屋台骨であったミンヒョク、ユースから昇格したサガン鳥栖の希望の星であった田川。個人的には、昨年だけの在籍でしたが、加藤との別れも残念でありました。
サッカーにいろいろな見方があるように、サポーターもいろいろな形があります。
サガン鳥栖をチームとして応援している人もいれば、選手個人を好きになって追いかけている人、楽しみ方は千差万別です。
選手個人を応援している人にとっては、その選手との別れは死活問題です。
チームの移籍と共に、サポートするチームを変える場合もあるかと思います。
それもまた、楽しみ方の一つでしょう。
出来る事ならば、選手との別れが訪れてもチームをそのまま応援して頂きたいのですが、それは個人の選択ですからね。
選手が来てくれたのをきっかけとして、チームを愛してくれるように、関係者全員でサガンファミリーに加わってくれるような雰囲気を作っていかなければならないのでしょうね。
ちなみは、筆者は、だれか選手ひとりに絞ってファンになって応援するというのはほとんどなく、ユニフォームは常に17番です。来てくれた人は一様に応援しますし、去った人であっても縁があったことに感謝して、行き先での活躍を願っています。
オフシーズン恒例企画のデータ解析シリーズ。今回は、在籍と移籍に関してのお話です。
最近、
「自分がユニフォームを買ったら翌年度いなくなる」
「キャプテンになったら翌年度チームを去る」
などと、選手との別れに関するあるあるをよく聞きます。
それらのあるあるは、サガン鳥栖ではどの程度発生しているのか?果たして珍しいことなのか?そのあたりを調べてみました。では、下の表をご覧ください。
表は、2009年以降の在籍者一覧、そして、在籍翌年度にサガン鳥栖を移籍するメンバーの割合を示した表です。
※いつものごとく、抜け漏れあったらすみません。

表を見ると、やはり、2010年は2009年シーズン後の余波を受けて半数以上のメンバーが鳥栖を離れていっていますね。レギュラークラスのほとんどが離脱したため、ほぼチーム再構築といって良かったかもしれません。
その2009年シーズン後の離脱率を上回ったのが、2016年シーズン後。この年は、キムミヌがサガン鳥栖を離れて韓国に戻るという出来事がありましたが、キムミヌだけでなく、丹羽、坂井、小林、早坂、岡本、菊地という、長くチームを支えてくれ、そしていぶし銀として根強い人気を誇る選手たちが相次いで移籍することとなりました。ショッキングの度合いは、2016年シーズン後の方が高かったのかもしれませんね。
ほとんどの選手が残留してマッシモ体制の集大成という話も上がった2018年(2017年終了後)ですら不在率は21.4%あります。5人に1人はチームを離れている状態ですね。2018年は、集大成のはずが残留争いの中心としての戦いとなってしまい、選手が残留することが(戦術が浸透すると思われる事が)補強とは言えないのかもしれません。
それで、出したかったのは、
「自分がユニフォームを買ったら翌年度いなくなる。」
と言っていた人がどのくらい稀有な存在なのかということですが、いろいろな前提条件や、制約条件はさておき、端的に掛け算してその割合を出してみました。

こうして見ると、2年連続だと約10%ということで割と発生するような感じで、3年連続もちょっと運が悪かったら発生しそうな感じですね。4年連続以降となると、かなり確率が低くなるわけでありまして、こうなってくると、選手のユニフォームを買ったら翌年いなくなると、嘆き叫んでも良いレベルなのかもしれません(笑)
まあ、単なる数字遊びにすぎないのですが、やはり、ユニフォームを買う程に好きになった選手は、大いに活躍して頂きたいし、少しでも長くサガン鳥栖に在籍してその勇姿を見せて欲しいものですね。
小学校の頃にあんなに仲良く遊んだ友達とは、いまは音信不通どころか、連絡を取ろうとすらしていないかもしれません。
価値観の変化や新たな環境に身を置くことによって、人間関係が変遷していくのはよくある事です。
自然に忘れるような関係であっても、受け入れられないような形であっても、別れと言うのはいつかは訪れる事なのです。
サッカーチームのサポーターとしての活動も、例外なく、出会いもあれば別れも訪れます。
特に、好きな選手との別れ、応援していた選手との別れは非常につらいものです。
何がつらいのかというと、多くの選手との別れは突然にやってきます。それがつらさを助長させます。
契約期間が決まっているプロフェッショナルスポーツですので、サガン鳥栖と契約を継続しないことになれば、そのタイミングがまさに別れのタイミングとなります。
そして、その別れのタイミングは、サポーターの意思や意図と関係なく、時として、その経緯を知る由もなくいきなり訪れます。
別れ方も、選手が更なる向上を目指しての別れ、選手の衰えによる戦力外となる別れ、チームの事情(経営面等)による別れ、納得いくもの、いかないもの、様々な形が存在します。
スタジアムでの挨拶での別れとなった鎌田やミヌに関しては本当に稀なケースと言えるでしょう。(本来はすべての選手とあのような形で別れたいものですが)
別れと言えば、古くからのサガン鳥栖サポーターにとって忘れられないのは、やはり2009年のシーズン終了後でしょう。
岸野さんによる、高地、柳沢、武岡、渡邉の引き抜き、主力だった島田、山田卓、広瀬の流出、そしてミスターサガン義希の移籍。
年々、上位に顔を出すようになって、昇格が少しずつ夢ではなくなってきた時期、そして鳥栖スタジアムでのラストゲームでの高地のあの感動的なゴール。
それらの全てが無に帰るかのような主力の大量流出に、心が折れそうになったサガン鳥栖サポーターは、たくさんいたかもしれません。
ただし、多くの選手との別れがあるからこそ、多くの選手との出会いも生まれます。
2009年大量流出で悲観にくれている状況の中、J1への昇格の立役者となり、その後もサガン鳥栖をJ1のチームとして支えてくれた主役たちは、ほとんどの選手が2010年に入団してくれました。呂成海、藤田、早坂、野田、木谷、丹羽、そして、キムミヌ、豊田。もちろん、この流出のさなかにサガン鳥栖に残ってくれた室、赤星、磯崎、池田も長い年月サガン鳥栖を支えてくれた大功労者です。
そして、今年も、別れの時がやってきました。今年は特につらい別れが多い年でした。
チーム最古参としてJ2時代から支えてくれた赤星、チームのムードメイカー池田、J1快進撃の屋台骨であったミンヒョク、ユースから昇格したサガン鳥栖の希望の星であった田川。個人的には、昨年だけの在籍でしたが、加藤との別れも残念でありました。
サッカーにいろいろな見方があるように、サポーターもいろいろな形があります。
サガン鳥栖をチームとして応援している人もいれば、選手個人を好きになって追いかけている人、楽しみ方は千差万別です。
選手個人を応援している人にとっては、その選手との別れは死活問題です。
チームの移籍と共に、サポートするチームを変える場合もあるかと思います。
それもまた、楽しみ方の一つでしょう。
出来る事ならば、選手との別れが訪れてもチームをそのまま応援して頂きたいのですが、それは個人の選択ですからね。
選手が来てくれたのをきっかけとして、チームを愛してくれるように、関係者全員でサガンファミリーに加わってくれるような雰囲気を作っていかなければならないのでしょうね。
ちなみは、筆者は、だれか選手ひとりに絞ってファンになって応援するというのはほとんどなく、ユニフォームは常に17番です。来てくれた人は一様に応援しますし、去った人であっても縁があったことに感謝して、行き先での活躍を願っています。
オフシーズン恒例企画のデータ解析シリーズ。今回は、在籍と移籍に関してのお話です。
最近、
「自分がユニフォームを買ったら翌年度いなくなる」
「キャプテンになったら翌年度チームを去る」
などと、選手との別れに関するあるあるをよく聞きます。
それらのあるあるは、サガン鳥栖ではどの程度発生しているのか?果たして珍しいことなのか?そのあたりを調べてみました。では、下の表をご覧ください。
表は、2009年以降の在籍者一覧、そして、在籍翌年度にサガン鳥栖を移籍するメンバーの割合を示した表です。
※いつものごとく、抜け漏れあったらすみません。

表を見ると、やはり、2010年は2009年シーズン後の余波を受けて半数以上のメンバーが鳥栖を離れていっていますね。レギュラークラスのほとんどが離脱したため、ほぼチーム再構築といって良かったかもしれません。
その2009年シーズン後の離脱率を上回ったのが、2016年シーズン後。この年は、キムミヌがサガン鳥栖を離れて韓国に戻るという出来事がありましたが、キムミヌだけでなく、丹羽、坂井、小林、早坂、岡本、菊地という、長くチームを支えてくれ、そしていぶし銀として根強い人気を誇る選手たちが相次いで移籍することとなりました。ショッキングの度合いは、2016年シーズン後の方が高かったのかもしれませんね。
ほとんどの選手が残留してマッシモ体制の集大成という話も上がった2018年(2017年終了後)ですら不在率は21.4%あります。5人に1人はチームを離れている状態ですね。2018年は、集大成のはずが残留争いの中心としての戦いとなってしまい、選手が残留することが(戦術が浸透すると思われる事が)補強とは言えないのかもしれません。
それで、出したかったのは、
「自分がユニフォームを買ったら翌年度いなくなる。」
と言っていた人がどのくらい稀有な存在なのかということですが、いろいろな前提条件や、制約条件はさておき、端的に掛け算してその割合を出してみました。

こうして見ると、2年連続だと約10%ということで割と発生するような感じで、3年連続もちょっと運が悪かったら発生しそうな感じですね。4年連続以降となると、かなり確率が低くなるわけでありまして、こうなってくると、選手のユニフォームを買ったら翌年いなくなると、嘆き叫んでも良いレベルなのかもしれません(笑)
まあ、単なる数字遊びにすぎないのですが、やはり、ユニフォームを買う程に好きになった選手は、大いに活躍して頂きたいし、少しでも長くサガン鳥栖に在籍してその勇姿を見せて欲しいものですね。
2020年度シーズンのサガン鳥栖レビューについて
トレーニングマッチ サガン鳥栖 VS アビスパ福岡
サガン鳥栖の勝敗と担当主審との関係(2014 to 2018)
マッシモ解任報道について(マッシモ解任のタイミング)
ベルギー代表をサガン鳥栖の選手で置き換えてみました。
トレーニングマッチ サガン鳥栖 VS ロアッソ熊本
トレーニングマッチ サガン鳥栖 VS アビスパ福岡
サガン鳥栖の勝敗と担当主審との関係(2014 to 2018)
マッシモ解任報道について(マッシモ解任のタイミング)
ベルギー代表をサガン鳥栖の選手で置き換えてみました。
トレーニングマッチ サガン鳥栖 VS ロアッソ熊本
Posted by オオタニ at 18:46
│SAgAN Diary